2015年5月22日金曜日

源八山の花

白山麓から花の画像が届きました。
見事なユキツバキとヤマツツジです。
九瓣のツバキ。色も鮮やかな残りの花。
先日の医王山でも椿がきれいでしたが、源八山の椿は、色も形も様々です。
先日、ツバキの花見時に見つけたのは、肥後ツバキのような形でした。
この花弁は細長く、先日より多くてもすっきりとスマートに見えます。
ヤマツツジ  雪で根曲がりの樹形でしょうか。
今夜の趣味の園芸ではツツジが紹介されていました。公園などで見る丸刈りや角刈りにされてるのは、花付きが良くなるからだそうです。勿論、施肥も怠ってはいけませんが、刈り込む事で枝分かれして花芽が多くつくのだそう・・・。公園や庭園の剪定された形も美しいものですが、やはり、自然の中で出逢う自然の形が一番!と思ったのでした。
           

2015年5月19日火曜日

医王山とヒメシャガ 写真集 二

美しい花たちは、濱谷さんの頁です。
 ヒメシャガ アヤメ科     
ハルリンドウ  リンドウ科
ロゼット状の根性葉があり、葉っぱは、披針形。
フデリンドウ  リンドウ科
花の頃には、根性葉はありません。葉っぱは、対生し、広卵形。
ミツガシワ  ミツガシワ科ミツガシワ属の一属一種の多年草。
石川県のレッドデータブックでは、絶滅危惧Ⅱ類
 
ナガハシスミレ(テングスミレ) スミレ科
距が長いのが特徴。天狗の鼻のようです。
ルイヨウボタン  メギ科
トリガタハンショウヅル  キンポウゲ科
和名の由来は、高知県の鳥形山で最初に発見されたことに因んでいるそうです。
今回も、たくさんの花の写真を送って下さいました。
どこにあったのかもわからない花たちが多く、観察力の深さと花の美しさに感激の時間です。
同じところを歩いているはずなのに・・・。
「私を撮して」と花たちの声が濱谷さんにだけ届いているのかもしれませんね。

医王山とヒメシャガ 写真集 一

医王山写真集、源八山荘主の頁です。
ヒメシャガ
ミツガシワ・・・アップで見るとシラヒゲソウにも似てるような面差し
ルリイトトンボ? 淡い瑠璃色が雨の滴を纏っているように儚げです。
空を覆うように、枝が広がり、レース模様のようです。
マンサクに絡む蜘蛛の糸に雨の滴、あやとりしてるようです。
細かい雨がもたらした美しさに、感動しながら歩いた山でした。
霧の中から、緑の影から、たくさんの美に出逢えた時間・・・別世界のようです。

医王山とヒメシャガ

3月の能登の花旅で、医王山のヒメシャガが見たい!と今回の山行きとなりました。
10年以上も前に金沢の知人が連れて行ってくれたこの山で、初めてヒメシャガに出会ました。
医王山の隅々までをご存知の濱谷さんがコースを決めて案内して下さいました。
当日は、弱い雨模様の為、当初予定していた西尾平から奥の
シガラクビから登山開始です。
シガラクビ→覗→地蔵峠→箱屋谷山→大池平(昼食)→覗乗越→白兀山→シガラクビ
が今日のコース。午前中は、ハイキング気分で、昼食後、白兀山までが少し急登となります
との説明があり、小糠雨で一層緑が鮮やかな山道を歩き始めました。
至る処に、踏み跡があります。根曲がり竹を採る人の残したものだとの事でした。
大池平の休憩舎のそばのイタヤカエデ
まるで千手観音のようです。
休憩舎にザックを置いて、三蛇ヶ滝へ
雪解けで水量も多く、美しい姿を見せてくれました。
皆で探しているのは、流れの石の下にいたハコネサンショウウオ
たくさんの人の気配に驚いたのか、姿を消してしまいました。残念!!
     大池が緑を映して・・・。昔、登った鳶岩は、この上だそうです。        
サワクルミの巨木の中の登山道を登り、白兀山に向かいます。
白兀山頂上
医王山のコースの話や直近の山歩きのイベントなどの話が続き、
6月のコースが決まりました。次回は、オオヤマレンゲに出逢う山旅です。
一服後、シガラクビの駐車場に向かって下山開始。
金沢、杜の里の賑やかな通りから15分ほどのところに、こんなにも豊かな森が広がります。
土日は、すぐに駐車場が満車になるとの話に納得。幸いにも小雨模様の天気の為、乗り合って移動した4台の車も駐車出来るスペースがありました。

思い出の中よりも随分と大きなヒメシャガが待っていてくれました。
登山道の至るところでその可憐な姿を愛でることが出来ました。
ミツガシワやサワグルミ、イタヤカエデなどの巨木と緑鮮やかなたくさんの植物が迎えてくれました。
遠い記憶を手繰り寄せて、新たな医王の山を楽しむ事が出来ました。         



2015年5月12日火曜日

能登のかんじき

春からの職場は、育った地域とは異なる山間の場所。毎日の会話は、とても興味深いものがあります。
ある日、かんじきを作る「ブチの木」とは、何の木だろうと云う話になりました。
その木を初めて教えてもらった時、まだ葉は開いていなかったのですが、木の肌は、クロモジと全く同じ感じ。なるほど言い得て妙とは、このことで、緑色に黒いブチがところどころに付いているように見えます。
その後、源八山荘主の助言で、クマヤナギではないかと思い当たりました。
クマヤナギ クロウメモドキ科のつる性落葉低木
職場の方のお父さんの手作りかんじき
ブチの木(クマヤナギ)と麻縄で作られています。
若い頃は、木の肌もクロモジにうり二つ    
少し太くなると黒みを帯びてきます。
黒っぽい木肌で「クマ」、柳に似た葉なので、「ヤナギ」
で「クマヤナギ」と名づけられたとか・・・
白峰のかんじき
コサの健司さん手作りは、根曲り竹で作られています。
先の上がった白峰のかんじきは、斜面を登るのに都合良く出来ています。
この形のかんじきは初めて見たと言われました。能登の山間では白山麓ほどの積雪量もなく、白峰のような形のかんじきを履いて急斜面を歩く猟をすることもないので、平たいかんじきで充分だったのでしょう。
又、立山かんじきのようにツメが必要な程の雪質でもなかったとの事でした。

土地が道具を作りあげます。
能登の山間地のかんじきは、この地の素材でこの地ならではの形で作られた、この地で必要な道具でした。


ノトキリシマの寺を訪ねて

休日の午前中、手伝ってもらった畑仕事が一段落。
午後からノトキリシマを見に出かけました。
場所は、能登町七見の曹洞宗 松園山 萬年寺(ばんねんじ)
境内の至る処にノトキリシマが植えられています。
真っ赤な花に覆い尽くされて・・・
清楚な白色のツツジ
少しエンジがかった色味も美しい
『のとキリシマツツジとは、能登にあるキリシマツツジのことです。
キリシマツツジはそもそも江戸霧島という園芸品種で江戸時代に作り出されました。世界最高水準の園芸文化を極めた江戸に霧島山からキリシマツツジ(本霧島?)が入った1656年以降、品種改良され日本中で大流行しました。キリシマツツジ(江戸霧島品種群)は1730年代に能登へ伝来しています。』                                                      NPO法人のとキリシマツツジの郷hpより

木々を覆い尽くす深紅のツツジ。この季節になると能登の各地で、景色を彩る鮮やかな姿を目にします。
何代にもわたり、大切に育てられてきた証として、能登には、100年以上の古木が500本以上も点在するそうです。NPO法人のとキリシマツツジの郷hpより)
育ての親がいないと1年ももたないともいわれているほど、過保護にしなければならないと云うノトキリシマツツジ。古木の多さは、能登人の地道で根気強く愛情深い人となりを表しているように思えます。

能登人の思いに触れるぺく、能登各地の古木を訪ねてみたくなりました。

2015年5月7日木曜日

医王の里駐車場へ

連休の最終日、医王山登山の集合場所の確認に出かけました。
移動時間は、およそ3時間と見ていましたが、早朝の事もあってか2時間20分程で到着。
この駐車場からは、車に乗り合わせて登山口まで移動の予定です。
時間も早かったので、白峰の友人に連絡して、白山麓源八山の椿の花見に合流する事にしました。
帰路、遠くに雪の山々が見えました。
源八山の椿は、ユキツバキかユキバタツバキか・・・
詳細はわかりませんが、実に様々な色合いと形のものがあります。
大好きな「太郎冠者」の花びらの質感に似た椿
フデリンドウ
急な斜面を椿を見ながら、登り切ると尾根道になります。
右側は、鴇ヶ谷に続くダム湖が見えます。
大きな真っ赤な花びらが魅惑的。
ユリ咲きのような花は、葉っぱも細めです。
肥後つばきのような形
椿を観賞しながら急な斜面を登りました。本当に十人十色の椿の饗宴です。
斜面に添って根曲がりしたような樹形。雪の多い地形を物語ります。

ちょっと遠くへのお花見。持ち寄った昼食とおしゃべりを楽しみ時間が過ぎます。
医王の里の緑の鮮やかさと白山麓の椿の紅色、今日の日を彩ってくれました。
ヒメシャガの薄紫色に出逢えることを祈って、帰路につきました。

2015年5月4日月曜日

とも旗祭り

石川県指定無形文化財 とも旗祭りにでかけました。
町内を廻った御輿を乗せる御座舟の後ろに、大きなのぼりを立てて五色の吹き流しを付けた9艘の船がひかれ、湾内を練り廻り、豊漁を祈願する御船神社の春祭りです。
人手不足は、御輿の巡行にも現れているようで、去年の秋祭りに比べると御輿が廻ってくるのが遅いと云った声が聞かれました。例年、午後3時頃には湾内を練り廻ると云う御座船に御輿が乗せられたのは3時40分頃でした。
ようやく御輿が現れました。
御座船を始め9艘の船は、中型漁船に引かれて港内を3回廻るそうです。 
昔は、男子しか乗せなかった船には、人不足もあって女子も乗るようになったそうです。
鐘や太鼓、賑やかな掛け声とともに、様々な文字の描かれた大のぼりを立てた船が練り廻る光景は、壮観です。 航行が始まる頃には、くす玉を割るように、つり下げられた入れ物からきらきらと金銀の紙が舞い上がりました。それは、今から始まる祭りを彩るようにゆっくりと舞い落ちます。
波静かな港内を航行し、港外に出て行きました。
中型のイカ釣り漁船が10艘の船を引いて進みます。 
漁業の町では、人手不足もあって女子供も祭りの準備に駆り出されます。紙貼りと聞いていたのは、旗に書かれた文字に貼られた金銀の紙・・・文字は煌びやかに彩られ、豊漁と安全が祈願されます。
能登町の紹介ページには、『祭り当日は、北東から風が吹き、祭りが終わる頃には南西の風に変わり豊漁になると伝えられている。』とあります。
祭りの開催が4月から5月の連休になっても、不思議なことに肌寒くなってきました。

帰省する子や親戚が、羨ましい程に誇れる祭りがありました。