2024年5月2日木曜日

新緑の山を歩く 白山眺望の西山 Ⅱ

28日の初登山で出会った植物たちです。 
ミツバアケビ  アケビ科
キンキマメザクラ  バラ科
センボンヤリ  キク科
この花は、春と秋の姿が変化するらしい。花茎が、秋には長く伸びるそうで、
「千本槍」の由来は、
秋に林立する閉鎖花の花茎の様子を槍に例えたものだそうです。
トクワカソウ  イワウメ科
イワウチワと違いは、葉っぱの形?葉っぱがトクワカソウかな?
タムシバ  コブシ科
ムラサキヤシオ  ツツジ科
サンカヨウ  メギ科
白峰では、「そうか」と言うところを「しゃんかよう」と言ってるので、
サンカヨウを見かけると、その方言を思い出してしまいます。
ニッコウキスゲ  
ユリ科→ススキノ科→ツルボラン科 と科名が変更されて来てるとか
で、今は・・・ツルボラン科?
オキナグサ  キンポウゲ科
花後は、タンポポのように、白い糸状の姿となります。
ミズバショウ  サトイモ科
キブシ  キブシ科
ウリハダカエデ  カエデ科
初めて出会ったのは、千本槍 
戦国時代の武将を思う起こすような名前です。あの小さい花が、花茎を延ばして、秋には、違った姿となるとは。秋の花も見たみたいものです。
緑と花々とおしゃべりを楽しんだ一日でした。

新緑の山を歩く 白山眺望の西山 Ⅰ

じおくらぶの今年度最初の山は、白峰の西山です。 
久しぶりの高山植物園の温室横の駐車場に、9時集合です。
地震の影響等々を心配して下さった方々にお礼を言って、造成中の植物園経由で、西山に向かいました。
久しぶりの懐かしい温室。外見は、何も変わっていません。
造成中の植物園は、盛り土したり削ったり石を置いたりした土の面に、ニッコウキスゲ(ゼンテイカ)が植えられていました。
園芸家の森和男さんが携わって、デザインも含めて作られています。
何年か前に、勤めている公民館行事で地域の方々と訪れた時には、日程をこちらの行事に合わせていただきました。懐かしい再会で、植物園を丁寧に案内してもらえました。
山荘の向こうに白山が見えます
山荘の横にあった作家の故高橋治先生の仕事場は、なくなっていました。
時の流れを感じてしまいます。
造成中の植物園を経て、少し車道を歩いて、西山への道に入りました。      
新緑が青空に映えて、気持ちの良い登山道
西山へは、冬のかんじきを履いてのウォーキング以来でしょうか。
記憶のある道を登り、一旦鞍部に下りて、最後の坂を上ると頂上です。
頂上からの白山
絶好のお天気で、四塚など、加賀禅定道の山々や白山から別山、三ノ峰までを見渡せます。
青空に、少し雪の残る山々が、美しく映えて気持ちも弾みます。
記念写真をとって、少し休んで、白山に向うように下山開始です。
下山は、木々の間から見える白山を眺めながら、おしゃべりも楽しみながら歩きました。
ブナやクロモジの新緑が目に眩しく、心癒されます。
少しお昼に早かったのですが、新緑の林の中で、お弁当タイムです。
坂を下り切ってからは、来た道とは別のコースで下山しました。
しばらく歩くと、白山高山植物園の園地に入っていました。
水溜まりには、たくさんのオタマジャクシが元気に泳いでいます。
水溜まりを通って、先を行くと、白山高山植物園です。
植物園からも白山が望めます。
まだ開園前の高山植物園は、さまざまな準備を経て、例年6月初旬に開園します。
植物園内を歩いて、白山を満喫!
各々しばらく園内を歩いて、白山を満喫し、
花盛りの植物園を想像しながら、駐車場に向かいました。
13:10頃、駐車場に到着しました。
靴を履き替えて帰る支度を済ませてから、来月の山の事などの話がありました。
解散前に、地震以来、たくさんの心配をして下さった皆様に、地震の少し後から家で寝泊まり出来ている事等をお伝えし、感謝とお礼を伝えさせてもらいました。
ちょっと(かなり?)運動不足の感は否めませんが、今まで通りの山歩きをご一緒にとお願いして、今年のプチ初登山を終えました。
久しぶりに白峰の栃餅をお土産に購入。
いつもは、白山麓の温泉に入って帰るのですが、道路状況も考慮して帰路につきました。

2024年4月20日土曜日

道沿いの春

留守番をしてるタマの様子を歩いて見に出かけました。
行きも帰りも道沿いは、春でいっぱいでした。
法面の隙間に咲いたタンポポ
総苞片が反り返ってるので、西洋タンポポでしょうか。
シロバナタンポポ
ウマノアシガタでしょうか。つやつやした花びらが綺麗。
バライチゴ
民家の横の畑の椿。園芸種かな?
平開した花が、押し競まんじゅうをしてるみたいです。
今日一番の美人? ヤブツバキ
ヤマザクラが終わって、クロモジの花やカナメモチの赤い葉など道の両側は賑やかです。
ウラシマソウでしょうか。
釣り糸のように、苞から黒っぽい長い糸のように垂れてるものが見えます。

鳥の鳴き声も賑やかになって来ました。
目にも、耳にも春爛漫です。

2024年4月13日土曜日

久しぶりの遠出  

久しぶりに、白山麓まで出かけて来ました。
穴水から、昔の海沿いの道を徳田大津インターまで走り、徳田大津インターから入った里山海道は、段差のある個所には、案内もあり、スピードを落として無事に走る事ができました。
ミチノクフクジュソウが満開
白峰から谷トンネルを通り、しばらく行くと勝山市の天然記念物ミチノクフクジュソウの自生地があります。
道の両側や上段にも、株が増えていて、地域の人達の花を守る思いを感じました。
良い天気に誘われて、バンビラインを少し登ってみました。
オオタチツボスミレ
カタクリ
昔、訪れた頃に比べて、カタクリの数が少なくなっていたのと、小さい株ばかりで、猪の仕業なのか、寂しい道でした。ミノコバイモは、花が終わり、種をつけていてました。
勝山のペンションに泊まった翌朝も良い天気。
コンビニで買い物を済ませて、ブナオ山観察舎に向かいました。
恐竜博物館の丸い屋根と、白いティラノザウルスが
変わりなくあって、懐かしさいっぱいです!
谷トンネルを抜けると白山が見えるはずなのに、車を停められず姿をきちんと確認出来ません。
そこで、西山に上がって見る事にしました。
駐車場からの見事な白山。三ノ峰まで見る事が出来ます。
ブナオ山観察舎は、本当に久しぶりです。
ブナオ山観察舎までの道の横に咲いてたキクザキイチゲ
市ノ瀬や中宮の展示館が閉館するのと交代に開館するので、ブナオ山観察舎は、寒い時期にオープンする観察舎。この日は、暖かく今までの印象と異なる観察舎でした。
観察舎から降りてくる人が、「熊とカモシカが見られるよ」と言ってくれました。
観察舎は、スタッフも変わっていて、特に女性スタッフの方が優しく接して下さり、今迄にない位、楽しい時間でした。
昔と違って、望遠鏡にカメラが取り付けてあるのか?
モニターに画像が映し出されて、熊の動きが一目瞭然でした。
青光りしてるような真っ黒な熊、懸命に食べているのは、アザミの新芽のようです。
この程度でお腹が膨れるのかと不思議ですけれど・・・
この日は、この一頭の熊と、子熊を2頭連れた母熊の親子3頭を見る事が出来ました。
特に親子3頭の様子は、見ていても心が和みます。
女性スタッフの話だと、2頭いても子熊の性格は違う様で、やはりとろい子は、なかなか餌にありつけないし、動きも今一つ・・・頑張って!と応援したくなるようです。
窓の向こうの急に見える斜面で、大きな熊たちがアザミの新芽などを食んでいる様子は、ずっと見ていられる程でした。おおのま という、鞍部に雪が残り、それを横切るように、昔の道の跡が見て取れます。
観察舎を出る少し前、保護センターにおられた方が、超望遠のレンズをつけたカメラを首から下げて入って来られました。今は亡き友達が「桂の君」と言ってたのを思い出します。
ずっと見ていたいけれど、明るい内に帰らねばとお暇しました。

帰路は、徳田インターから先まで、里山海道を走りましたが、余りのアップダウンとでこぼこ道、迂回路等々で、神経をすり減らすようでした。
次回は、帰りも徳田インターで降りて、下道で帰ろうと思いました。

4月の山歩きの下見を兼ねた白山麓行きは、勝山を走っても、西山に上がっても懐かしさでいっぱいでした。何とか移動の目途もついて、又、メンバーの方々と歩けるのが今から楽しみです。

2024年4月9日火曜日

今年の荘川桜

朝、起きて窓を開けると、雨の中、開花してる荘川桜の姿がありました。
今年は、一向に蕾が膨らまないように見えて、地震の影響で咲いてくれないのではないかと心配していたのでした。
枝に雨粒がついてるみたいです。
午後、駐車場から見えた荘川桜は、雨が上がって色が濃くなっていました。
今年もきれいに咲いてくれました。ありがとう♪
         
随分と枯れた枝もあって、大丈夫かと心配してました。
今日は、今年の荘川桜開花日です。

2024年3月20日水曜日

庭の春

庭の春は・・・
元は、森さんから来た「クリスマスローズ」
森さんからもらったクリスマスローズを、株分けしてもらいました。
痛んだ葉は、切り取った方が良いそうです。
薄いピンクと薄い緑のコントラストがきれいです。
黒っぽいピンクのクリスマスローズ
手取り川ダム湖の椿
先に咲いた花は、残念な事に痛んだ花びらでしたが、葉裏に隠れるように咲いたこの花は、
痛みがのない綺麗な花びらでした。開き方が山茶花のようです。

庭の花をじっくり愛でる気持ちを忘れていましたが、花たちは開花の春を忘れずに、綺麗に咲いてくれました。 
       
花たちから目を上げると、昼の月が出ていて、その下を飛行機が光って飛んで行くのが見えました。

2024年3月17日日曜日

最後の配給品

 前日、「翌日の11時から残った配給品の仕分けを手伝って下さい」と放送がありました。
近所に住む叔母と連れ立って、出かけると、配給品の仕分けは終わっていました。
車を取りに出かけ、11時には早かったので、班の家の分を車で持ち帰り、各家に配布しました。

1月1日の地震後、翌2日には、婦人会の方々の炊き出しがありました。
たくさんの配給品は、町内で均等に仕分けして配布されました。
婦人会の皆さんや他県から来て下さった方々のたくさんの炊き出しも、その都度、放送があって知らせてもらえました。
最後の配給品は、2ℓ入ペットボトルに入った水6本と
ご飯5パック、おかずの缶詰2缶です。
 知り合いの地域では、残った配給品を分ける事なく、区長さんが別の避難所に持って行かれたと聞きました。
被災者の為にと、送って下さり、各地域に分けられた品々は、そこに住む人達に平等に分けていただく事を送って下さった方々は、考えておられたと思います。
そんな話を聞いて、我が地域が特別なの?
そうではなく、当たり前ではないかと、とても残念な事でした。

当たり前が当たり前でなくなるような今、
各地からたくさんの配給品を送っていただいた事、そして均等に地区民に分けてもらえてた事に、感謝です。