2023年11月24日金曜日

歴史を歩く 能登の史跡を歩く 晩秋の七尾城跡 Ⅱ 

七尾城跡への道で見た植物などです。
カラタチバナ サクラソウ科
別名 百両

ヤブミョウガ  ツユクサ科
マムシグサの実
ヤマトガキのような柿が二つだけ残ってました。
真っ赤な紅葉
交差した幹の上のモミジの黄葉
木から杏色の茸が出ています。
ハチノスダケ だそうです。傘の裏がハチの巣状です。
コナラの黄葉
紅葉の黄葉
九尺石
シロダモの赤い実  クスノキ科 
展望台からの下り道の黄葉
紅い葉は、少な目でしたが、様々な黄色に染まった道を楽しく歩いた一日でした。 

歴史を歩く 能登の史跡を歩く 晩秋の七尾城址

今年最後、11月の山歩きは、七尾城跡です。
七尾城史資料館近くのトイレもある立派な登山口駐車場が、今回の集合場所です。
全員集合し、道を挟んだ資料館で能登畠山氏と七尾城の歴史などを見学し、事前学習です。
皆さん熱心に見学。
CGを駆使した画像で、往時の七尾城が紹介されています。
思わず本当?と思える程に、たくさんの建物があったと紹介されています。
資料館を出て、七尾城跡に向かって出発です。
人家の横から大手道に入ります。
能越道の下を道が続きます。
立石の地蔵さん
このお地蔵さんを拝むと、虫歯が治るそうです。
ここから本丸まで2㎞
道はきちんと整備されています。
木々の間から七尾の町と能登島が見えました。
登山道沿いには、地名などを記した案内板が建てられています。
安寧寺手前の道からは、七尾市内を望む事が出来ます。
能登島大橋や和倉温泉方面、小丸山公園も見えました。
安寧寺跡から階段を上って、三の丸跡に辿り着きました。
曲輪の中では最大規模を誇ると案内板に記されています。とても広い平地でした。
※曲輪とは、城の中に作られた一つの区画の事だそうです。
三の丸と二の丸との間は、深い堀切りで仕切られています。
三の丸跡から降りて、階段になった道を二の丸跡にあがります。
階段は、段差が個々に辛かったりするもの。
坂道ならば歩きやすいのにと、愚痴りながら・・・
二の丸跡 
二の丸は、本丸に次ぐ第二の拠点で、尾根の分岐点に築かれ、
周囲を数々の曲輪が取り巻いている と案内板に記されています。
二の丸跡を下りて、九尺石を見て温井屋敷跡、桜馬場跡を経て、本丸跡に向かいました。
桜番場跡から本丸跡へ向かいます。
七尾城本丸跡
太田の火力発電所のあたりから、和倉温泉、能登島等々を
ぐるっと見渡す事が出来ました。
昼食後、城山展望台まで歩きました。
見事な石垣(野面積み)と階段
これは、七尾の名前の由来からの形? 七角形の形の展望台でした。
水平線の向こうに、雪を被った山々が見えます。
左に目を転ずると、七尾湾と能登島をぐるっと見渡す事が出来ました。
展望台から下り
本丸駐車場から寺屋敷を右に見ながら、樋の水を経て、沓掛で来た道に合流し、登山口まで下りました。
真っ青な空に上弦の月
駐車場には、15時12分に到着。
今年度最後の山歩きは、好天に恵まれて無事に終了しました。
来年の山歩きを約して解散しました。

七尾は、城山に7つの尾があることに由来するといわれている。
 尾根の名は、東の方に松ノ尾、南の方に竹ノ尾、北の方に烏帽子ノ尾、西の方に鶴ノ尾、 亀ノ尾、竜ノ尾、
 虎ノ尾とある。
 但し、書物によっては、烏帽子、鶴・竜・虎がなくて 菊・梅・牛・袴となっている場合がある。
展望台に記載されている七尾市地名の由来 から

2023年11月20日月曜日

山伏山 Ⅱ

山伏山への道で出会った植物たち
ヒヨドリジョウゴ ナス科
葉や茎は、漢方の生薬として用いられているようですが、この赤い実
には毒があるそうです。が、ヒヨドリが好んで食べると云うのは・・・?
サルトリイバラ  サルトリイバラ科
コマユミ ニシキギ科
オヤマボクチ キク科
アキノキリンソウ キク科
ムラサキシキブ シソ科
ゴンズイ ミツバウツギ科
ゴンズイの仲間は、中国および朝鮮半島南部に見られますが、本種は、日本の固有種で、
19世紀初めにシーボルトらが、当時の新種として発見したそうです。

ゴンズイという名の魚もいるようで、ナマズの仲間の淡水魚のようです。
小さなシロダモ(クスノキ科) の葉の上に蝶々が羽を休めていました。
? キク科 
おそらくキク科? ボロギクに似てますが、葉っぱが違う
あなたの名前は?と問うて答えてくれたらな・・・
登山口までの車道沿いには、他にミヤマツルシキミやガマズミ等の赤い実が、たくさん見られました。紅葉した葉っぱや薄く色付いたコシアブラなどを見上げて、山伏山の秋を楽しみました。

山伏山

通りかかる度に、気になっていた山伏山に行って来ました。
山頂には、須須神社の奥宮があります。
この石の階段を上がって行きます。
山伏山の社叢林は、石川県指定文化財。
社叢林の植物などの説明板が、石段手前にありました。
石段を登り切り鳥居をくぐると、草刈等、きちんと手入れされた道が続きます。
アケビか藤か?何かに巻き付かれたのか、こんな形になってしまった・・・
次の鳥居からは、急な登りがジグザクに続きます。ところどころ、落ち葉を集めて袋詰めしたものが置いてありました。登り切った先に奥宮が見えて来ました。
須須神社の奥宮
奥宮手前では、落ち葉を集めて袋詰めしてる氏子の人達がおられました。
地震で被害のあった所を直す準備の為、腐葉土を作っているのだそうです。
社殿の裏の少し高くなった所が山伏山の頂上のようです。
山伏山 184m と書かれた小さな看板がありました。
頂上のすぐ下の大きな木は、根こそぎで倒れていました。
社殿の前の狛犬の台も崩れています。
社殿の屋根瓦もずれて、狛犬や灯篭も崩れていました。
これらの修理に伴う資金は、狼煙の集落で負担するとの事でしたが、外部からの寄付も届いているとの話でした。
須須神社の奥宮とは云え、寺家にある須須神社とは、祭神も異なり、明治の初め頃まで神主さんも異なるようでした。この奥宮は、狼煙集落の産土神のようです。因みに祭神は、美穂須須見命で、出雲の美保神社の祭神です。(美穂津姫命) 

 出雲風土記(733年)の国造り神話に、「高志(こし)の都都(つつ)の三埼を余ありやと  見れば、国来国来と引き寄せて三穂の埼ができた」とあり、能登の「スス」の岬を出雲で「ツツ」と発音したのであろうと考えられています。 《珠洲市hpより》

神話の時代の珠洲と出雲との繋がりは、産土神が同じという事からも、地元で語り継がれてきた話なのでしょう。
作業の手を止めて、氏子の方がいろいろと話して下さいました。
奥宮と出雲の縁の話を聞きながら、昔、訪れた出雲の美保神社を思い出し、境内を後にしました。
コンクリートの鳥居の上には、赤く色付いた紅葉の大木が見えます。
鳥居の所で、道が3本に分かれていたので、来た道と違う道を下りる事にしました。
手入れされた林の中は、真っすぐに伸びた大きな木ばかりです。
気持ちの良い林をしばらく歩くと、社叢林の説明のある登山口からは狼煙寄りの場所に出ました。登りの道より早く車道に辿り着きました。この道は、軽トラックも入れるようです。
作業の方々の軽トラが、どこから?と不思議でしたが、この道を登って来られたのでしょう。
奥宮までの道も、下りに歩いた道も、きちんと手入れされた跡が見える気持ちの良い林でした。

狼煙の道の駅の傍には、奥宮までお参りに行けない人の為の奥宮遥拝所がありました。
奥宮の分も遥拝所にお賽銭を入れて、お参りし、とても清々しい思いで帰路につきました。