2014年11月25日火曜日

秋の名残りの贈り物

甥と白峰へキノコ採りに行ってきました。余り期待しないようにとの連絡にも、ちょっと期待しながら・・・。季節に似合わぬ乾いた山道を歩き、仰ぎ見た木に、キノコの影。が、残念ながら採れませんし、過ぎているようでした。しかし、あたりを探していた甥が同じ木の根元を見たら・・・
乾いていたため、奇跡的に残っていたナメコです。
ナメコ採取初体験は、難しい根元に生えた株でした。
ナメコ採り初体験。源八山荘主に採り方を訊いて、壊さないように大切に採取。
移動した場所で、実は、自分もキノコ採りだけの山入りは初体験だったと気づきました。
キノコも山菜も採る時期があり、ベストの状態で採取するのが山の人達の採取方法。
勿体ないが先に立ち、結局捨てるようなものまで採ってしまいました。
キノコ採りのお誘いは初めてでした。長い白山麓の生活を改めて振り返る山道でした。
神々しい別山と御舎利山が姿を見せてくれました。
源八山荘に戻り、コーヒーをご馳走になり一服。受賞の旅や北のまほろば2000㎞の旅の話を聞きながら、準備のお手伝い時に感じた事を思い出しました。縦にも横にも、全く知らない別の世界があること、そして、別の世界にいても、普遍性のある日本人の精神性(霊性)を話の端々から感じたのでした。

楽しかった晩秋の山の時間で、まだまだ若葉マークの社会人二年生の甥が、何かを感じてくれたら大収穫だと思いながら帰路につきました。


2014年11月22日土曜日

すんき漬け

有史以来2度目といわれる噴火で、甚大な被害の出た御嶽山の麓、長野県木曽町で「すんき漬け体験」に参加したのは、ちょうど去年の今頃の寒い日でした。
すんきは、『複数の乳酸菌で発酵させた無塩の漬物』です。木曽すんき研究会
塩を使わず、乳酸発酵させた漬物は、お腹にも優しく、食物繊維も豊富で減塩にも威力を発揮します。
漬ける前の赤カブの葉

すんきの種
赤カブの葉を60℃位のお湯に湯通しして種を混ぜて、密閉し発酵を待ちます。色がべっ甲色になり、酸っぱい香りがしてきたら、できあがりです。
今年のすんき漬け
左 末川カブ(開田カブ)菜  右 王滝カブ菜
去年のすんきを冷凍保存しておいた種を使って、畑で栽培した王滝カブと末川カブのちょっと貧弱感のある葉っぱで作ってみました。仕込んでから3日目。ベテランに比べるとべっ甲色も淡い、初心者すんきです。
今日は、頃合いに干し上がった大根もタクワン漬けにしました。
「意地の悪い人は、すんき作りが上手い」
とすんき語録にあるようです。木曽や白山麓の寒さにはほど遠い地でのすんき作りは始まったばかりですが、次は語録どおりだと美味しくなります。

2014年11月13日木曜日

熊の梯子、猪のベット

初雪を迎える頃となった白山麓から、画像が届きました。
西山では、猪がカヤを刈ってふわふわベットを作ってあったそうです。使う前に、周囲のカヤを刈り取られ未使用との事でした。
カヤ場の猪のベット
真ん中の盛り上がった部分
そして源八山では、ご丁寧に柿の木に梯子を準備してあったものですから、ハツメな熊五郎にすっかりと平らげられてしまったようです。熊は梯子に立てかけてあった高バサミは使わず、力業で落とした枝が山になっています。
実をつける渋柿
幹にトタンを巻いても、梯子があれば・・・
源八山には、梅雨時に実を落とす渋柿もあり、切ろうと思っていたら、今年4つ実をつけたとか。
全く実を付けない栗の木もあるそうで、伐採して材にしようかと考え枝を打ち上げて残したら、今年たくさん実をつけたそうです。
昔、出作りに、なかなか実をつけないナシノキがあったそうです。しかも源八山の栗や柿と違い筋金入りで、脅しぐらいでは実を付けなかった。そこで、叔父さんが時々根元に火薬を仕掛け爆破していたそうです。
爆破した年は実をたくさんつけたとか。
命の危険を感じて、子孫を残す為に実をつけるのでしょうか。

様々な獣害のニュースが入りますが、梯子を使ったりベットを作る獣たちは、何だか愛嬌があります。
「梯子を外す」・・・存外人間は、野蛮な生き物だったりするのかもしれません。

2014年11月12日水曜日

あらまほしき

晩年の「あらまほしきイメージ」も、百人百様であっていいのです。
地元の新聞で必ず読むコラム「きょうの言葉」。
先日は、渡部昇一氏の著作『60歳からの人生を楽しむ技術』からの言葉でした。
「どのように生きていくか」は、自分で決めるしかない。・・・中略・・・ある程度の年齢になれば、世の中全体を鳥瞰して眺めることができるはずで、結果としても、人それぞれ、百人百様に生きていることがわかる。
だから、”自分なりの生き方”に、もっと自信を持っていいのではないか。
ユキツバキ or ユキバタツバキ
源八山の返り花
阿留辺畿夜宇我(あるべきやうわ) 神護寺で見た明恵上人の石碑が思い出されます。
悩み、落ち込み、反省し、兎にも角にも、軌道修正しながら日々を無事に送りたいと思います。

源八山では、椿の返り花が咲きました。花のないこの時期に館内を飾った花でした。
あらまほしきイメージは、この花のような有り様。
周りがどんなに変わっても、咲きたいときに変わりなく美しく咲いてくれました。

2014年11月8日土曜日

歴史を歩く 能登の低山を歩く 石動山

9:30道の駅「織姫の里なかのと」に久しぶりの再会。荒山城跡まで各自の車で移動し、準備などの後、林道城石線を頂上に向けて歩きました。心配された天気も上々です。
大宮坊の周辺で、早めの昼食を摂り、石動山資料館を見学しました。コンパクトながら、中身の濃い展示に興味津々。その後、伊須流岐比古神社の鳥居をくぐり、史跡を巡りながら、大御前に向かいました。
梅宮を過ぎて、大御前に向けての登り道 紅葉の真っ最中。
石動山のブナ林
ひょろひょろと背の高いブナが密に生えています。
密度の高いブナ林は、白山麓のブナ林とは少し異なる景色です。所々道沿いに石灰岩や片麻岩が見られ、この山の成り立ちを想像しながら歩きます。
ブナ林の林床には、低木が少なく、チマキ笹が繁っていました。
ヒサカキがあるのが、白山麓のブナ林との違い?
荒山口阿弥陀三尊板碑
本能寺の変後、風雲急を告げる中、石動山衆徒が造立 
史跡や石動山ユリが、歴史を語る石動山の道は、ブナが色づき、ウリハダカエデが赤や黄色に染まり、快適でのんびりとしたウォーキングを楽しませてくれました。

古代より豊かな地であった。
石動山は、それを私たちに語っていました。



2014年11月5日水曜日

後の十三夜


ラジオで、今夜の月は特別ですと話していました。後の月、十三夜ですが、今年は、二度目の後の十三夜らしい。前回鑑賞されたのは、江戸時代天保14年、1843年。171年ぶりの珍しい月のようです。天文ファンの間では、「ミラクルムーン」と注目を集めたとか。

旧暦では3年に1度、「うるう月」を入れて季節とのずれを調整するのだそうですが、今年は171年ぶりに9月にうるう月が入り、今夜が2度目の「十三夜」となり、これが「後の十三夜」と呼ばれるそうです。
今年二度目の十三夜
十五夜も後の月も観賞したか定かでなく、片見月とはならなかったはずが、三番目の名月を愛でる事が出来ました。東の空に目を移すと、オリオンが上がって来ていました。 
鮮明ではありませんが、ベテルギウスがオレンジ色にきらきらと輝いていました。
この星は、オリオンの脇の下と云う意味だそうです。そして、対角にある白い星は、リゲル。
こちらは、巨人の左足だそうです。おおいぬ座のシリウスとこいぬ座のプロキオンと共に冬の大三角形を作るベテルギウスは、その色が示すように、年老いた星。
それでも、今宵は、十三夜の月の光に負けずにきらきらと輝いていました。

高く上った月が隣家の瓦屋根を照らし、冴え渡った夜空に星のきれいな宵です。
白山を照らした月夜が思い出されました。


          

2014年11月2日日曜日

錦繍の村

白山麓から錦の便り。
先月、23日の大長山登山では、思いがけず美しい紅葉に出逢う事が出来ました。
標高約1,150mの駐車場で楽しんだ紅葉は、ようやく白山麓の山々にも降りてきました。
源八山から見た小嵐谷の紅葉
源八山からダム湖下流を望む
体中が黄色に染まるような秋の道。送られてきた景色からは、そんな紅葉の山道を歩いた時の秋の香りが漂ってくるようです。山いっぱいの錦繍は、次やってくる白い季節など知らないと云わんばかりの賑やかさ。

源八山荘周辺の山々も、お祝い色に染まっているみたいです。


懐かしい道で

隣町までぐるっと歩いて戻ってきた道沿いで、秋の花と実に出逢いました。
ノコンギク キク科
花言葉:守護、忘れられない想い、長寿と幸福。
ノコンギクは、まだまだ盛り。秋になると日本中のどこでも会える花。忘れられるはずもありません。

ヒヨドリジョウゴ ナス科
懐かしいヒヨドリジョウゴ。初めて見た場所で再会しました。
ヒヨドリジョウゴは、ヒヨドリが遊び戯れると云う意味だそうですが、確か毒があったような。
遅くまで実は食べられた痕跡がなく残っています。

アオツヅラフジ ツヅラフジ科
蔓は、その昔、葛籠を編むのに使われたそうです。
アオツヅラフジ。花の頃は、目立たないけれども、秋になるとブドウのようなきれいな色の実がなり、一際目立つ存在となります。種の皮を取ると、アンモナイトのような形の種が現れます。

身近な植物たちにも、いろんな事実が隠されてます。
周りは、面白いで溢れている!そんな事を思った懐かしい道でした。