2015年1月31日土曜日

冬色の能登

三月に予定している「植物おもしろ探検 能登の植物観察」の下見に行ってきました。
猿山岬は、ユキワリソウ(スハマソウ)の群生地として有名で、季節になるとたくさんの人が訪れます。
深見集落から急な遊歩道を登るコースと車で灯台近くまで行けるコースがあるようですが、今回、迷った先の深見集落には、簡単な遊歩道の案内板しかありませんでした。
今日は、雨。生憎の外浦巡りとなりました。
皆月から猿山灯台へ向かう海沿いに建つ家々は、真竹で編んだ間垣で囲われています。
雨が強くなって、車中から撮影
きれいに真竹を編んで強風と波から家を守ります。
孟宗竹と違う少し優しい感じ
最後の集落 吉浦の手前から、灯台方面に入ると、ところどころ道を覆うように真竹が・・・。
自生のものかもしれませんが、間垣に必要なので植えられたのかもしれません。
灯台の駐車場を確認して、下る道。立木も山側になびくように、海からの強風に耐えてるみたいです。
内浦とは、全く異なる地形を見ながら、輪島を経て、珠洲へ向かいました。
海岸を離れて照葉樹の中をカープしながら走る道を経て、木ノ浦県民休暇村へ。
春三月は、狼煙から木ノ浦まで続いている岬自然歩道の一部を歩き、椿や海岸線を楽しむ予定です。
 高校の時に初キャンプで訪れた場所は、近く上映される「さいはてにて」という映画のロケ地となったとか。
海沿いに建ち並ぶ家々や冬枯れの田畑、夕暮れの能登はちょっと淋しい冬色でした。

2015年1月24日土曜日

真脇遺跡現地説明会

縄文期初 「ほぞ」加工の角材 真脇遺跡で見つかる

現地説明会に出かけてきました。「ほぞ」加工の木材は、全国でも出土事例があるようなのですが、角材とほぞ加工の出土は、全国でも初めてのケースだそうです。
鉄器もない縄文時代に角材にして「ほぞ」を作る技術があり、又、厚さ1㎝の板に加工する技術があった事に驚いてしまいました。それは、3,000年も前の人達のこと・・・。
白い長靴の右方向に「ほぞ」加工のある角材があります。
角材の傍には、丸く結わえた蔓状のモノがありました。ここは、その頃、川が流れていたと推測されるところだそうです。奈良などで出土事例があり、川に木材を結束して置き淀みを作り、ドングリやトチなどを水にさわしたと考えられるとの事でした。周りには、黒いトチの実の殻がたくさん見えます。
              
今は、周囲に栃の木がたくさんあるようには見えませんが、縄文時代、すぐ近くまで海の迫ったこの場所には、川が海に流れ込み、山手には栃の木や今回出土した角材や部材の材料と思われるアスナロ属やスギ・クリ・アテなどがたくさん繁っていたのでしょう。
イルカを食し、山の木の実を食べ、縄文の人々は何代にもわたって集落を形成して暮らして来たのでしょう。
縄文真脇遺跡は、縄文時代前期初頭(約6,000年前)から晩期終末(約2,300年前)まで約4,000年間、途切れることなく人々が住み続けてきた全国でも例を見ない長期定住遺跡として、平成元年に国指定史跡に指定され、平成3年に出土品219点が国指定重要文化財となりました。
そんな遺跡の発掘も、資金難などで今後の調査は先が見えないようでした。
史跡整備にたくさんの予算がつけられて、発掘調査に予算がまわらない、本末転倒のような現実に、残念な思いで説明会場を後にしました。

2015年1月23日金曜日

証拠現場を押さえたり!!

昔、白峰自然倶楽部と云う有志の集まりがありました。自分たちの自然体験や自然体験行事のお手伝いなどをしながら、月一で勉強会も行っていました。源八山の家で、講師を招いてお話を聞く機会がありました。その日の余りのカメムシの多さに、誰言うともなく「かめむしはうす」と呼ばれる事になってしまいました。

薪についたカメムシをせっせと雪の上に捨てていたら・・・、カラスやアオゲラだけではありませんでした。
シジュウカラは、人の気配にも注意を払いながら・・・カメムシget!
足元の黒い物体、雪の中の黒い物は、カメムシです。
現場写真を撮られて、あたふたと飛び立って・・・
ナワシログミの木に留まって、何もなかったように・・・
木の枝で澄まし顔。

薪を運ぼうと開け放っていた戸口から、玄関に入っていたシジュウカラ。彼の目的は、薪に付いてきたカメムシでした。協定を結んで、カメムシ退治業務に勤しんでほしい・・・
その場合、散らかした食べ残しと糞は、くれぐれも各自の責任で整理整頓願います。
雑草を食べてくれる山羊を貸し出すお仕事があるようですが、カメムシを駆除する鳥を貸し出す業者がいないだろうかと源八山荘主は思ったのではないでしょうか。

枝の上から様子を窺うシジュウカラ、シビアに言っているようです。
「害虫退治だけで感謝してもらわなきゃ。後片付けはそちらで宜しく!」

2015年1月21日水曜日

この木なんの木・・・

きれいな雪がくっついた木。源八山から届いた雪の花のついた木々たち・・・
葉や花、実のついている時とは全く違う木の姿です。
何の木でしょう・・・
コナラ
クリ
キハダ
ウワミズザクラ
それぞれが緑に覆われた時を思ってみましたが、当たったのはキハダだけでした。
木までの距離や角度など撮影条件も一定ではないようですが、裸木だからこそ樹種本来の姿が現れているように思いました。

春になったら、たくさんの木を見つめてみましょう。
冬に雪の花をつけた姿を思いながら・・・。




2015年1月19日月曜日

味噌三升

源八山の裏山でジジと地鳴きしていました・・・とミソサザイの画像が送られてきました。
五十谷の敏春さんは、ミソサザイがドモル(地鳴き)と雪が降り(冬になり)、ドモリが直ると雪が止む(冬が終わる)と話していたそうです。
五十谷のバードウォッチングの時、小さな身体に似合わぬ大きな声で、忙しなく鳴く囀りを耳にしました。
そんな囀りを聞いてか姿を見てか、太田谷のタロコサとうちゃんの話では、ミソサザイは「私を食べるには、味噌三升いるぞ」と言ったそうです。
鳥たちが集まって、いちばん高く飛べたものを自分たちの王として認めることになりました。ワシは太陽まで昇って行き、戻ってくると自分の勝ちを宣言しました。ところがミソサザイは、私はもっと高く昇ったと主張しました。ミソサザイはワシの首につかまって一緒に太陽まで昇り、ワシがいちばん高いところに達したとき、ミソサザイはそれより高くハネあがっていたというのです。鳥たちはミソサザイを鳥の王と認め、王冠をさずけました。
西洋ではミソサザイを「王さま」とか「年寄り」と呼びます。その理由をギリシャの哲学者は「弱々しいけれどもチャッカリ屋で器用で、暮らしっぷりが楽々としているところから」と言い、ワシのライバルに見たてているのは、この話がヒントになっているのかもしれません。』                   サントリーの愛鳥活動 より

十二支のネズミとウシの寓話のようです。ネズミもミソサザイも小ささを武器に、大きなウシやワシを利用して、チャッカリ勝ち取った一番。
案外、小さなモノの方が知恵で勝ち抜く術を心得ているのかもしれませんね。
かんじきの跡が目に眩しい源八山の一日。
能登では、海の向こうに真っ白な立山連峰が見えました。
立山が見えると、翌日は荒れると昔からの言い伝えがあります。

冬に三日の晴れ間なし・・・白山麓も能登もころころと天気の変わる冬です。
中宮では、「今年の寒は雷がよう鳴る。寒にカミが鳴ると(夏に)風が吹くやって」と話していたとか。
動植物の声や色に、日々の天気にも変化を見極め、四季を暮らす人々のお話は、ミソサザイを例えたギリシャの哲学者のようです。
小さいからとなめるなよ!とばかりに「私を食べるには、味噌三升いるぞ」とミソサザイが囀る頃、白山麓は春でしょうか。

2015年1月13日火曜日

珠洲あんこう祭り

帰省中の友人と待ち合わせた道の駅すずなり。
ここは、能登線が廃止される以前、珠洲駅のあった場所です。懐かしい駅舎はなくなり、今は名残のホームが保存されています。
広場では能登ふるさと博の一つ、あんこう祭りが行われていました。
たくさんのテントが並び、能登の食を楽しむ人々で溢れています。私達も、お祭りを楽しむ事にしました。焼き牡蠣、牡蠣フライに地鶏の唐揚げや混ぜご飯、搗きたて餅のお雑煮にサービスのあんこう汁等々・・・祭りムードで食堪能。途中、旧ホームであんこうの吊るし切りが行われたくさんの人だかりでした。
後ろで覗き込んでいるのは、先の衆院選で惜しくも落選の近藤さん。
その後、友人の希望で珠洲焼の窯元見学に出かけました。
高校の校内マラソン大会で走った道を車で向かいました。このあたりは、若山荘と云われた日本でも有数の荘園のあったところだそうです。窯元主に、薪をくべる窯を見せてもらい、珠洲焼の歴史や地域の歴史など興味深い話を伺い、雪の降り出した鈴内の集落を後にしました。

学生時代の懐かしさも残る場所を訪ね、4月からの新たな職場の内定を貰った友との久々の語らいの時間は、友の応援の言葉に自らを省みる時間となりました。



2015年1月9日金曜日

無くなっていくものは・・・

昔、家の神棚には、オレンジ色の魚の形の榊入れが掛かっていました。
一つが壊れてから、置く形のものに変えたのでしたが、新聞の記事を目にして懐かしい陶器店にでかけてみました。随分と久しぶりに覗いた店内には、今日入ったばかりだと云う鯉の花掛けが積まれていました。
昔に比べたら、幾分可愛い系になっていました。
手書きの値札で魚は、だと判明。昔は、漁師町だけの需要だったそうですが、鯉の滝登りの故事があるように、最近では、商売繁盛を祈って会社などでの購入も増えているとの事でした。但し、問屋さんも1軒なら、小売店も県内ではこちらだけなのだそうです。
お話好きの店主と話しが弾み、今の世の失われつつある器に話題が移りました。
これは、ベン皿。なまぐさものをべんと言いますが、鱈汁などを食べる時に使います。丁度入ってこられたお客さんともそんな話で盛り上がりました。今の食卓には、まず上がらない器なのだそうです。そう言えば、白山麓ではこの手の少し小さな皿があって、カネコ皿と言われていました。お隣の福井のおろしそばもこの器で饗されます。
いろんな形の燗徳利 
何に使うか分からない若い人も多いとか・・・
店内には、消えゆく定めの器達をはじめたくさんの器が所狭しと並べられていました。
食生活の変化で、各家の食器棚の器も変わります。
地産地消や地域の食で賑わい創出をとまちおこしが叫ばれる昨今ですが、器が一つ無くなる毎に伝統の食も無くなるのかもしれません。

細々と作られて売られている花掛けに小さなスポットがあたり、
物言わぬ器達から、食文化、そして商店街の現状まで様々な今が見えた時間でした。


2015年1月6日火曜日

緑の繭

漸く晴れた日、畑に上がりました。
暮れからそのままになっていた人参や大根を少し収穫して、みかんの小さな苗木に菰をかけ、一通りの作業を終えて、鳴き声の方に目を向けたら、ジョウビタキが忙しなく動き回っていました。グレーの頭に黒い顔一際きれいなオレンジ色のお腹、黒い羽に白い紋をつけて・・・。紋付きを着ているようです。
暖かなお天気にのんびりとあたりを見回していたら、上段の木の梢にウスタビガの繭がついているのが見えました。
ウスタビガは、どんな風に繭を作るのでしょう。
尖った先から細い紐を伸ばして、上手に木の枝に結わえたようにしてありました。
繭が落ちないようにしっかりと・・・。
因みに成虫は10月から11月に羽化するそうで、
この繭は、空き家なのでしょうか・・・???
西山で観察会をしたとき、白峰の知人がこの繭を初めて目にしたと喜んでいたのを思い出します。山の人でも、そんな時期に歩かないと出逢えないのかと不思議でした。

天蚕は、ヤママユガの繭ですが、この繭の糸は普通の蚕の糸と異なり、薄い緑色をしています。
その糸で模様を浮き上がらせて織り上げた着尺を目にしたことがありますが、このウスタビガの繭の糸でもきれいな模様になりそうです。しかし、残念ながらウスタビガの繭からは、糸がとれないのだとか。
この緑の繭は、木にぶら下がっているのを愛でるのが一番のようでした。
  
ウスタビガ  チョウ目ヤママユガ科

2015年1月4日日曜日

雪の正月

平成27年1月1日。白山麓から雪の山の写真が届きました。
今年は、周期的に雪が降り12月には雪下ろしが既に2度行われたとの事でした。
おまけに、気温がそれほど低くないからか雪が水分を含んだ重い雪だそうで、その作業は、何倍にも疲れるものだったそうです。
2015.01.01 源八山の雪景色
能登も雪の正月でした。とは言っても木にちょっぴり雪の花が付いている程度ですが・・・
この木の周りには、メジロやシジュウカラなどがやってきて囀ります。
雪が溶けると一生懸命に下草の中で、賑やかに何やら啄んでいる様子が見られます。
2015.01.01 庄川桜の実生の桜
この桜がやって来たのは、ちょうど一回り前の羊年。
誰に見られなくても、きれいに咲いてくれていた桜の木です。
根元で動くシジュウカラの鳴き声に、満開の桜の頃を思っていたら、白山麓の友人からメールが届きました。

「今日4日、行カでは、3度目の雪下ろしでした。」

白山麓は、白い雪の中でした。

                                行カ・・・青柳山行勧寺