五十谷の敏春さんは、ミソサザイがドモル(地鳴き)と雪が降り(冬になり)、ドモリが直ると雪が止む(冬が終わる)と話していたそうです。
五十谷のバードウォッチングの時、小さな身体に似合わぬ大きな声で、忙しなく鳴く囀りを耳にしました。
そんな囀りを聞いてか姿を見てか、太田谷のタロコサとうちゃんの話では、ミソサザイは「私を食べるには、味噌三升いるぞ」と言ったそうです。
『鳥たちが集まって、いちばん高く飛べたものを自分たちの王として認めることになりました。ワシは太陽まで昇って行き、戻ってくると自分の勝ちを宣言しました。ところがミソサザイは、私はもっと高く昇ったと主張しました。ミソサザイはワシの首につかまって一緒に太陽まで昇り、ワシがいちばん高いところに達したとき、ミソサザイはそれより高くハネあがっていたというのです。鳥たちはミソサザイを鳥の王と認め、王冠をさずけました。
西洋ではミソサザイを「王さま」とか「年寄り」と呼びます。その理由をギリシャの哲学者は「弱々しいけれどもチャッカリ屋で器用で、暮らしっぷりが楽々としているところから」と言い、ワシのライバルに見たてているのは、この話がヒントになっているのかもしれません。』 サントリーの愛鳥活動 より
十二支のネズミとウシの寓話のようです。ネズミもミソサザイも小ささを武器に、大きなウシやワシを利用して、チャッカリ勝ち取った一番。
案外、小さなモノの方が知恵で勝ち抜く術を心得ているのかもしれませんね。
かんじきの跡が目に眩しい源八山の一日。
能登では、海の向こうに真っ白な立山連峰が見えました。
立山が見えると、翌日は荒れると昔からの言い伝えがあります。
冬に三日の晴れ間なし・・・白山麓も能登もころころと天気の変わる冬です。
中宮では、「今年の寒は雷がよう鳴る。寒にカミが鳴ると(夏に)風が吹くやって」と話していたとか。
動植物の声や色に、日々の天気にも変化を見極め、四季を暮らす人々のお話は、ミソサザイを例えたギリシャの哲学者のようです。
小さいからとなめるなよ!とばかりに「私を食べるには、味噌三升いるぞ」とミソサザイが囀る頃、白山麓は春でしょうか。
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