2015年2月11日水曜日

お寺探訪 弐

”小木様”  と呼ばれる眞宗大谷派寺院 磯越山法融寺。
創建年などを調べてみました。
寺伝によれば、
『享禄二年(1529年)本願寺八代目の蓮如上人の四男、加賀山田光教寺 蓮誓の子 顕誓が小木の海田浜に道場を建てて真宗の教えを布教したと伝えられる。(一説では、越前大町専修寺の顕誓)とあり、これを法融寺初代とする。』
顕誓は、蓮如の10男実悟とともに『蓮如言行禄』の著者として記録されています。
「享禄の錯乱」(享禄四年1531年)では、本願寺の加賀直接統治に反発して戦い破れ、越前に逃れて破門されたとあります。その後、天文十九年(1541年)許され、石山本願寺にはいり、本願寺一家の記録を『今古独語』『反古裏書』にまとめました。

加賀から布教に入った顕誓が、享禄二年に開いた道場が法融寺の始まりのようです。
第二代は、顕誓の子正順で、天正八年(1580年)に本願寺11世*顕如から「妙楽寺」の寺号を下付されます。そして、貞享元年(1684年)12月第六代栄正が寺号の改号を願い出て「法融寺」となりました。翌、貞享二年(1685年)1月10日 海田浜の地を離れて、現在地に寺を移転しました。
加賀で蓮如の子が覇権争いをしていた頃、能登半島の先っぽの漁村で始まった眞宗の布教。以来、480年余り、現在の住職は第十八代になります。

どこにでも歴史はあります。
名も無き庶民の思い・願い・営みが、時を経て今に続いているのだと思います。

*顕如上人は、織田信長との戦い(石山合戦)など戦乱の時代に生きた人で、
 その息子の教如上人は、「東本願寺創立の上人」。 (眞宗大谷派沿革) 

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