2014年9月18日木曜日

倜儻不羈(てきとうふき)

「倜儻(てきとう)というのは、自分の考えをしっかり持つこと、人がああいうからといってそこへ行かないこと、自分の考えを明晰に持つことという意味です。不羈(ふき)というのは、・・・中略・・・馬の、手綱がつかない人、放れ駒のような人のことを不羈というわけです。
人に御せられない人、そして明快な、いつも明晰な考えを持っている人、それが 倜儻不羈(てきとうふき)であります」
司馬遼太郎が同志社大学での講演の後、森皓一教授から学生の為に字を書いて下さいと求められ、新島襄の言葉の中にもあった事を説明しながら、書いた文字だそうです。

自己嫌悪に陥った時に届いた言葉に、決まり事の中でも自分が判断すると云うことを教えられました。
掌の中の秋
美味しそうな栗。マイマイガの攻撃にも負けずに、艶やかな実をつけました。
白山麓に、実りの秋がやってきました。

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