見事な小木石や境内を撮影中に見つけたのは、御影石の手水鉢。
享保十年 巳六月十九日 の刻印のある御影石の手水鉢 享保十年は、1725年乙巳年 |
御院主さまは、
寄進時期と寄進者については不明だが、小木の港は北前船の寄港地であり、各地の人々の参詣がありました。それによって運ばれたものであると考えられます。源八山荘主は、
神戸市六甲山麓御影地方で採掘されたもので、摂津国御影は産地名のようです。
御影地方は、古来、花崗岩産地として有名で、花崗岩を御影石と呼ぶのはこの事によるそうです。現在石屋さんに並ぶ花崗岩の殆どが輸入品で、御影地方産のものは他と区別して本御影と呼ぶそうです。この雨水受けは江戸中期の小木港の賑わいの証人ともいえるものです。
以前、西山先生(西山郷史氏 加能民俗の会副会長)に奥能登を案内して頂いたときに感じた、江戸期以前の能登の繁盛ぶりをこの寺にも感じることが出来ます。」
因みに幕末、この地を測量の為訪れた伊能忠敬の日記によりますと、
加州領同郡小木村 湊にて町と号、本町 新町 猟師町 塩崎町四ヶ所ニ分ル、明日の分を少し仕越、八ツ半後小木新町着、止宿徳兵衛サツマヤ、此夜中晴測量、此所家二百餘軒ありと云
その頃の宇出津は、五百餘軒と記されています。伊能忠敬は、晴れた夜、星を目印に測量したそうです。
今は、漁業も下降気味で町の賑わいも最盛期を知る者には寂しいものとなりました。
しかし、手水鉢からは、江戸中期の小木の町の賑わいが目に浮かぶようです。
お寺探訪は、地域探訪、地域再発見の一途となりそうです。
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