お盆も終った8月の中旬過ぎ、白山麓での最後の焼き畑を見学に出かけました。
8時からの火入れに間に合うように、4時過ぎに自宅を出発。
通勤などの車に遭遇する時間でもなかったので、スムーズに白山麓に到着しました。
約束してた白峰の知り合いが、なかなか来ないので、心配しましたが、8時過ぎに到着。
「一番近い人が一番遅かったね」・・・もう火入れが始まっていました。
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真っ青な青空の下、最後の焼き畑が始まりました。 |
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下の焼き畑地の方から、白い煙が上がって来ました。 焼き畑作業が始まったようです。知り合いを急かして、現場見学です。 |
最初は、狼煙のように白い煙が上がってましたが、準備した焼しろを焼いていくと余り煙はあがりません。主催者曰く、木が湿ってると白い煙となり、十分に乾いていると煙は白くあがらないとの事でした。煙で焼いている材の湿り気を判断できるとは・・・
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燃えた木々をイブリ(鍬のような形状で柄の長いもの)で、下に降していきます。 下の木々に火をつけると共に、燃え尽きた灰をその地面に置いていきます。 離れて見ていても暑いのですから、作業する人達はどれ位暑いでしょう |
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最後の焼しろに火がついて、燃え尽きるのを待ちます。 |
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下段まで焼き尽くして、熱い土が冷めるのを待ちます。
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次の作業は、畑地を鍬で起こすのですが、冷めてからとなるので時間もあります。
お昼には、少し早かったのですが、知り合いと久しぶりの白峰へお昼を食べに行きました。
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国指定重要文化財の山岸家住宅 昔に比べると、随分ときれいになったような・・・ 私が居た頃からは、9年も経ちましたから、痛んだ処の修復もあったのでしょうか。 |
今日は、懐かしい南番のご飯処で、おろしうどんを食べました。
知り合いは、何度も、もう次が始まってるのじゃないかと心配してましたが、兎に角、食べてからです。暑い日に、冷えたおろしうどんは美味でした。おろした大根がもう少し辛味があればもっと美味しかったかも・・・知り合いは熱いのを希望されてたようで、私の早とちりで冷たいものを注文。余り食が進まなかったようでした。ごめんなさい・・・
食べ終えて急ぎ、焼き畑作業中の場に戻りました。
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焼いた畑も冷えたようで、数人で畑を打っておられました。 鍬は、幅の狭い鍬です。あれは、焼き畑用?と知り合いに訊かれましたが、 昔、下田原でしてた焼き畑の折もそうだったか? 記憶がなくて・・・ が、幅が狭ければ、ちょんちょんと畑を打てて、力が余りいらないかも・・・ 又、木などの根っ子が残っていても取りやすいのかも とは素人考えの2人の話です。 |
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こちらは、下から打って上がります。 裸地にする前は、竹原だったか笹原だったか・・・根っ子がたくさん 残ってるようです。根っ子を取り除きながら、打ち上がっていきます。 |
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畑を打ち終わってから、種を蒔いていきます。 今回は、ナナギのようですから、大根の種を蒔かれてると思われます。 |
種が重ならないようにだと思うのですが、独特な巻き方を見ながら、昔の下田原での焼き畑を思い出しました。下田原の焼き畑地は、もっと傾斜があって広かったのですが、そこで同じような巻き方で、春のヒエナギの折は稗や粟、夏のナナギは大根の種を蒔いていました。
穏やかで優しかった知人を思い出します。
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ダム湖上方の空には、不思議な形の雲 |
作業が終わったようなので、上の道にあがりダム湖の方を眺めたら、不思議な形の雲が出ていました。
下田原での焼き畑が、焼畑農耕との出会いでした。
何も知らない他所から来た者が見学に行って、優しくしてもらいました。
親分肌の親方が厳しく言っても、子方の弟さんがとても優しくしてくれました。
そして大きな橘先生、お祭りのように、たくさんの人達で賑やかな時間でした。
そこに集う人達の話は、どれもこれも、とても興味深く面白い話でした。
厳しい自然の中での日々を、豊かに暮した山の人々の知恵を、たくさん知る事の出来た時間でした。
今回の焼き畑の作業を見ながら、優しかった弟さん、親分肌のお兄さんのいたヒエナギ、ナナギの頃を思い出しました。焼き畑の時は、お祭りだったのかもしれません。
随分と昔の事になりました。
日々の暮らしから得た知恵と工夫で、山で豊かに暮らしてた時代がありました。
今回で最後の焼き畑。
残念ではありますが、お陰様で楽しかった良き時代を思い出しながら帰路につきました。