七尾城跡への道で見た植物などです。
2023年11月24日金曜日
歴史を歩く 能登の史跡を歩く 晩秋の七尾城址
今年最後、11月の山歩きは、七尾城跡です。
七尾城史資料館近くのトイレもある立派な登山口駐車場が、今回の集合場所です。
全員集合し、道を挟んだ資料館で能登畠山氏と七尾城の歴史などを見学し、事前学習です。
資料館を出て、七尾城跡に向かって出発です。
三の丸と二の丸との間は、深い堀切りで仕切られています。
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皆さん熱心に見学。 |
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CGを駆使した画像で、往時の七尾城が紹介されています。 思わず本当?と思える程に、たくさんの建物があったと紹介されています。 |
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人家の横から大手道に入ります。 |
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能越道の下を道が続きます。 |
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立石の地蔵さん このお地蔵さんを拝むと、虫歯が治るそうです。 ここから本丸まで2㎞ |
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道はきちんと整備されています。 |
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木々の間から七尾の町と能登島が見えました。 |
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登山道沿いには、地名などを記した案内板が建てられています。 |
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安寧寺手前の道からは、七尾市内を望む事が出来ます。 |
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能登島大橋や和倉温泉方面、小丸山公園も見えました。 |
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安寧寺跡から階段を上って、三の丸跡に辿り着きました。 |
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曲輪の中では最大規模を誇ると案内板に記されています。とても広い平地でした。 ※曲輪とは、城の中に作られた一つの区画の事だそうです。 |
三の丸跡から降りて、階段になった道を二の丸跡にあがります。
二の丸跡を下りて、九尺石を見て温井屋敷跡、桜馬場跡を経て、本丸跡に向かいました。
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階段は、段差が個々に辛かったりするもの。 坂道ならば歩きやすいのにと、愚痴りながら・・・ |
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二の丸跡 二の丸は、本丸に次ぐ第二の拠点で、尾根の分岐点に築かれ、 周囲を数々の曲輪が取り巻いている と案内板に記されています。 |
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桜番場跡から本丸跡へ向かいます。 |
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七尾城本丸跡 |
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太田の火力発電所のあたりから、和倉温泉、能登島等々を ぐるっと見渡す事が出来ました。 |
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見事な石垣(野面積み)と階段 |
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これは、七尾の名前の由来からの形? 七角形の形の展望台でした。 |
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水平線の向こうに、雪を被った山々が見えます。 |
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左に目を転ずると、七尾湾と能登島をぐるっと見渡す事が出来ました。 |

本丸駐車場から寺屋敷を右に見ながら、樋の水を経て、沓掛で来た道に合流し、登山口まで下りました。
今年度最後の山歩きは、好天に恵まれて無事に終了しました。
来年の山歩きを約して解散しました。
※七尾は、城山に7つの尾があることに由来するといわれている。
尾根の名は、東の方に松ノ尾、南の方に竹ノ尾、北の方に烏帽子ノ尾、西の方に鶴ノ尾、 亀ノ尾、竜ノ尾、
虎ノ尾とある。
但し、書物によっては、烏帽子、鶴・竜・虎がなくて 菊・梅・牛・袴となっている場合がある。
展望台に記載されている七尾市地名の由来 から
2023年11月20日月曜日
山伏山 Ⅱ
山伏山への道で出会った植物たち
登山口までの車道沿いには、他にミヤマツルシキミやガマズミ等の赤い実が、たくさん見られました。紅葉した葉っぱや薄く色付いたコシアブラなどを見上げて、山伏山の秋を楽しみました。
ヒヨドリジョウゴ ナス科 葉や茎は、漢方の生薬として用いられているようですが、この赤い実 には毒があるそうです。が、ヒヨドリが好んで食べると云うのは・・・? |
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サルトリイバラ サルトリイバラ科 |
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コマユミ ニシキギ科 |
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オヤマボクチ キク科 |
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アキノキリンソウ キク科 |
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ムラサキシキブ シソ科 |
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ゴンズイ ミツバウツギ科 ゴンズイの仲間は、中国および朝鮮半島南部に見られますが、本種は、日本の固有種で、 19世紀初めにシーボルトらが、当時の新種として発見したそうです。 ゴンズイという名の魚もいるようで、ナマズの仲間の淡水魚のようです。 |
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小さなシロダモ(クスノキ科) の葉の上に蝶々が羽を休めていました。 |
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? キク科 おそらくキク科? ボロギクに似てますが、葉っぱが違う あなたの名前は?と問うて答えてくれたらな・・・ |
山伏山
通りかかる度に、気になっていた山伏山に行って来ました。
山頂には、須須神社の奥宮があります。
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この石の階段を上がって行きます。 |
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山伏山の社叢林は、石川県指定文化財。 社叢林の植物などの説明板が、石段手前にありました。 |
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石段を登り切り鳥居をくぐると、草刈等、きちんと手入れされた道が続きます。 |
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アケビか藤か?何かに巻き付かれたのか、こんな形になってしまった・・・ |
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須須神社の奥宮 |
地震で被害のあった所を直す準備の為、腐葉土を作っているのだそうです。
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社殿の裏の少し高くなった所が山伏山の頂上のようです。 |
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山伏山 184m と書かれた小さな看板がありました。 |
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頂上のすぐ下の大きな木は、根こそぎで倒れていました。 |
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社殿の前の狛犬の台も崩れています。 |
これらの修理に伴う資金は、狼煙の集落で負担するとの事でしたが、外部からの寄付も届いているとの話でした。
須須神社の奥宮とは云え、寺家にある須須神社とは、祭神も異なり、明治の初め頃まで神主さんも異なるようでした。この奥宮は、狼煙集落の産土神のようです。因みに祭神は、美穂須須見命で、出雲の美保神社の祭神です。(美穂津姫命)
出雲風土記(733年)の国造り神話に、「高志(こし)の都都(つつ)の三埼を余ありやと 見れば、国来国来と引き寄せて三穂の埼ができた」とあり、能登の「スス」の岬を出雲で「ツツ」と発音したのであろうと考えられています。 《珠洲市hpより》
神話の時代の珠洲と出雲との繋がりは、産土神が同じという事からも、地元で語り継がれてきた話なのでしょう。
作業の手を止めて、氏子の方がいろいろと話して下さいました。
奥宮と出雲の縁の話を聞きながら、昔、訪れた出雲の美保神社を思い出し、境内を後にしました。
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コンクリートの鳥居の上には、赤く色付いた紅葉の大木が見えます。 |
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手入れされた林の中は、真っすぐに伸びた大きな木ばかりです。 |
作業の方々の軽トラが、どこから?と不思議でしたが、この道を登って来られたのでしょう。
奥宮までの道も、下りに歩いた道も、きちんと手入れされた跡が見える気持ちの良い林でした。
狼煙の道の駅の傍には、奥宮までお参りに行けない人の為の奥宮遥拝所がありました。
奥宮の分も遥拝所にお賽銭を入れて、お参りし、とても清々しい思いで帰路につきました。
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