2017年4月14日金曜日

日和山の下より

伊能忠敬の能登測量日誌(忠敬先生日記)には、忠敬本隊が能登の内浦を歩いて測量した記録が記されています。享和3年(1803)の7月20日、宇出津を出立し、海岸沿いに加州領 珠洲郡 羽根村、同領 小浦村、加州御預所 真脇村 此所中食・・・その後、小木湊へ向かい、サツマヤ徳兵衛宅にて止宿 此夜中晴測量、翌21日朝、白山 立山 米山等を測ル ・・・ とあります。
別の資料では、日和山の下より とありましたので、日和山へ出かけました。
昔、遠足で来た記憶がありますが、家が建ち並び面影がありません。
シロバナタンポポ
日和山より見えた山々
日和山下より(或いは日和山から)白山・立山・米山などを測量した忠敬は、その足で内浦を測量。(小木湊からは、船に乗って海上からの測量だったと記されたものもあります。どんな風に測量したの???)白丸の一向宗西方波声山高源寺で泊まって松波に向かい、外浦を測量して来た平山郡蔵たちと合流します。
歴史の教科書に出ていた人の辿った道を歩いてみようと思案中・・・

しかし、今の車道を歩いても忠敬先生の歩いた道ではありません。
現代に生きる私達に、海岸沿いを歩くアドベンチャーが可能か否か。どこで埒を付けるか・・・
悩ましく楽しみでもあり、歴史上の人物たちの見た景色を探してみたいとも思うのでした。

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