令和6年が明けました。
雪もなく穏やかな午前中、歩いて地域の神社にお詣りに行きました。
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1月1日 姫地区の産土神社 諏訪神社 |
初詣から戻り、昼食を済ませて、去年と同じような新年のテレビを見ながら、のんびりしていると、甥夫婦が年始の挨拶に来てくれました。
いつものように、先ず、仏壇にお詣りしてくれます。
皆で、日本各地の一の宮参りの話で盛り上がり、古事記関係の本を持って来て話していたら、最初の揺れが来ました。
甥のお嫁ちゃんがすぐにストーブを消してくれました。
いつものように、これで終わるかなと思ってたら、次に今までに経験のない大きな揺れが来ました。立っているのも大変な揺れです。
急いで外に出て、甥夫婦は家に戻り、私達は車で高台へで上がりました。
津波警報が発令され、集落から上がって来た皆で、ずっと海を見つめました。
若干の潮の満ち引きが見られましたが、その日は夜になっても警報の解除はなく、道路に駐車した車の中で、車中泊となりました。
夜半、外に出て見上げた夜空は、夕刻の物凄い揺れは夢だったかと思うほどの綺麗な星空でした。
左手上空にオリオンが広がっています。一緒にいた輪島から来ていた女性と見上げた夜空、
輝くオリオン座・・・いつもと変わらぬ、いつにも増して見事な美しさでした。
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近くの石切り場跡 1月8日、何も変わらぬ雪景色。雪を纏った枝に鳶がとまっていました。 給水場所に行くと、給水車は浄水場へ補充に向かっていて残念ながら空戻り。 しかし、その日は、なんと甥が簡易シャワーを準備してくれて、 8日振りに髪を洗う事が出来ました。感謝!
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1月9日 叔母の畑のブロッコリーを貰って来ました。 |
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畑への道沿いの崖側に黄色い菊が咲いていました。 1日に起きた災厄など関係ない日常が、ここにありました。 |
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1月11日 午後の海 支援品配布のお手伝いを少しして、外に出るときれいな雪山が見えました。 海の向こうに山並みが見えた翌日は、天気が崩れると言われています。 能登各地に、若干違いはありますが、同様の言い伝えがあります。 |
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1月11日、自衛隊提供のお風呂です。 初めて訪ねたお風呂には、たくさんの人が待っておられました。 チャバチャバと急いで洗って、久方振りの湯舟につかりました。 暖かいお風呂、感謝!感謝! でした。 |
大きな地震が来てから二週間余り。
落ち着いたかと思えば、余震があり、次が来るのではないかと夜は不安が先立ちます。
電気が通った時の喜びと、断水で感じる水の有難さ・・・
様々な配給品や給水車からの水をいただき、工夫していかねばと肝に命じる日々です。
「ばあちゃんから、水道のない頃の話を聞いたことある」と甥が言いました。
歴史資料館の展示にあるような、大きな水甕に溜めた水を使う。
そんな時代が少し前までありました。
身近にあったモノが戻ってきた時の嬉しさを忘れずに、
友と自然の中を歩ける日を思いながら過ごす日々が、もうしばらく続きます。
※記し始めてから、10日ほど経ってしまいした。ご心配いただきありがとうございました。