2017年7月12日水曜日

徒手空拳  

何も無い身で、物事にあたるのは思うようにはいきません。
議論の出来ない空間と云うのは、何の為の時間なのか・・・。
新しく事を成すのも、人・人・人あってのものだと痛感する日々
徒手空拳の身であれば、尚更のこと・・・
人に恵まれていた日々を思い起こしています。
その日の午後は、日和山の観音堂のお参りに出かけたのでした。
伊能忠敬が測量に訪れた享和3年頃には、この観音堂はありませんでした。
越坂城主の太田寬人の持仏だったと伝わる十一面観音像
地区の人達が観音様をお祀りしています。
真宗の寺の住職がお経をあげて、観音様の由来を記した縁起書を読み上げました。持仏はこの寺に預けられて、明治の頃日和山にお堂を建てて祀られる事になったとのこと。
暫くすると真言の僧侶がお経を唱え、真宗の門徒でもある地区の方々が御詠歌を唱えます。
観音堂が出来てやがて120年を迎える今、お祀りする人々の高齢化やお参りする人達の減少で観音様をお守りするのも大変だとのことでした。
小さな祠で、一年に一度の観音様のお参りの日。人々の素朴で愚直な信仰心と思いに触れた時間でした。
徒手空拳
観音様のお祀りに集った人々とその夜の会に座した人々、人の力を改めて思い返しています。 

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