夏祭りの日は、忌明けと重なりました。
夕食後、甥が出かけて切籠など祭りの様子を撮して来てくれました。
昔は、4町内で4つ切籠がありました。 |
昔は、もっと大きく高いキリコで、向浜のキリコはトンネルを通れなないので、舟に乗せて弁天島の沖合を航行しこちらの港にやって来ました。
漆黒の海に浮かぶキリコは、とても幻想的で、祭りが苦手な私でもキリコを乗せた伝馬船が近づき、海上に響き渡る笛や太鼓の祭り囃子が大きくなるにつれ、ドキドキとして祭りの高揚感に満たされたものでした。 昔に比べると随分と小さくなった切籠 |
切籠を舟に載せます。舟は2艘繋いであるのかな・・・ |
夕食後の洗い場で、花火のもの凄い音が聞こえました。 キリコの裏の絵が、小木の袖キリコの裏の絵と似ていて、ちょっと残念・・・ |
今夜、集った人達 切籠は、3台。 |
祭り好きでないのは、この年になっても同じです。
詳しい事はわかりません。単に夏の祭りと言っていたのが、いつのまにか「どいやさ祭り」と記されていました。掛け声から来た名前か何なのかもわかりませんが、コロナ禍で2年中止となりました。
久しぶりに、若い人達が力を合わせて執り行った宵祭りだけの夏の祭りです。
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